略して
教判ともいう。
釈迦は成道して、涅槃に入るまでの45年前後の間に、多くの教えを説いた。後々にそれが発展して経典として形成された。しかしそれらの多くの経典が、中国へ伝えられ、漢訳仏典として集成されると、中国的な仏伝の解釈に基づき、これらの諸経典の教えの相や時期を分けて判別して、それらから仏道修行の完全なる悟りを得ようとしたことにはじまる。これが北伝の仏教として日本や朝鮮、ベトナムなどに伝えられていった。
しかし、今日では、経典の成立した年代がある程度特定され、大乗経典などは、釈迦の直説ではなく後代に成立したことが周知の事実であることから、大乗非仏説の根拠として批判されている。したがって五時八教説(後述)は完全なものではない、あるいは正しくないと一般的に否定されつつある。ただし南伝の三蔵も、最古の部分でも釈迦の死後100年内に編纂されたと推測されている程で、実際に釈迦の直接の教説の記述を伝えるものとし確定されている経典は存在しない。
だが、当時は南伝も北伝も、経典はすべて釈迦の説いた教えであると信じられていたため、教相判釈による以外に判別する方法が無かったともいえる。またちなみに、多くの経典が釈迦の直説ではないといっても、そのおおもととなる教説により各経典が発展して成立し、まったくのデタラメとも言えないという観点から、大乗非仏説ではなく経典成立史と呼称して新しく教相の判釈を試みる傾向もある。
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