竹原

  竹原(たけはら)は、広島県南中部の地名

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瀬戸内海に面する。本項では、江戸時代中期から明治にかけての町並みが残り安芸の小京都と呼ばれる商家町(町並み保存地区。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定)の歴史と特徴について述べる。自治体としての竹原は竹原市を参照。
竹原の名は、平安時代に下鴨神社の荘園として記録が残り、市街は中世の末頃から港を控えた市場集落として形成された。江戸時代、正保3年(1646年)に海岸沿い(現在の本川掘右岸)を干拓し新田開発が行われたが、土壌に塩分が多く耕作には不適であった。そこで赤穂から製塩の技術者を招き塩田に転換、慶安3年(1650年)に製塩を開始すると産出に成功し、承応元年(1652年)までに塩田は拡大、竹原に大きな富をもたらした。享保年間末期には、他産地の成長に伴って市場は供給過剰となり塩の値段は下落したものの、有力な産地としての地位を保った。製塩には塩分の濃縮のため大量の薪が必要であり、周辺の森林の減少を招くほどの盛業であった。
正保4年(1643年)に本川堀の船着き場が開かれると廻船の往来も活発となり、元禄期から正徳期には竹原の船主による四百石船から千石船も就航している。こうした廻船によって塩その他の産物は日本各地に出荷され、帰りには北日本から米を運びさらには大阪への輸送も請け負うなど海運業も栄えた(北前船)。他に酒造業なども興りそれら産業で財をなした商家を中心に、現在に残る町並みが形成されるに至る。経済の発展と共に町人文化も充実し、茶道など京風の文化が栄えた他、儒学者の頼山陽の父頼春水とその兄弟をこの街から輩出している。
竹原の町並みの特長は、一つの街区がそのまま伝統的な建築で構成されており、複数の町筋や寺院、辻堂等が一帯となって町並みが構成されていることである。特に本通りに立って南北を見通すとごく一部を除きほとんどが商家建築で、日本の伝統的な商家町の様子を知ることが出来る。各家屋は様々な意匠を組み合わせた格子が特徴で、一階に材木を組み合わせた出格子や平格子、高さを抑えた二階には漆喰を施した塗り込め格子が用いられる。大規模な邸宅は多棟連結型の例が多く、一方で戸建ての町屋や長屋の連なる横町も存在する。
2000年、国土交通省によって、「都市景観100選」の一つに選定された。
  
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